2010年2月23日火曜日

鼎の軽重

昨日、韓国の小説で崔仁浩(チェ・イノ)が書いた「商道」の中で出てきた「鼎」について書いた。

今日、朝の出勤時に山岡荘八が書いた徳川家康の10巻 無相門の巻の中で、かなえの軽重を発見した。

ちょっと文をそのまま(申し訳ありませんが、原文をそのまま記載します。

「家康に言われるまでもなく、こんどは絶対に敗退できない戦だと信昌は思っていた。緒戦ではすでに信雄が伊勢でも大山でも敗けている。わざわざ家康が出て来て、これも同じく敗退したとあってはかなえの軽重を問われることになろう」


さて、「商道」では、「鼎」を昔から足が三つ、耳を二つ持つ、食べ物を茹で、お茶を沸かす道具に過ぎないとしている。

かなえの軽重は、   「問鼎軽重」  と書く。

鼎の軽さと重さを尋ねるという意味だ。そして、これは「春秋左氏伝」にあり「史記」の楚世家にもでてくるらしい。

詳しくはこの「商道」を読んでいただきたいが、私はこう理解している。

「鼎の大きさや重さは何の意味も持たない。天子の徳があるならば、小さな鼎も重くてびくともしないが、徳が去って行けば大きな鼎も軽々と運ぶことが出来る。鼎は常に徳のあるところに移っていく」
中国らしい発想で、王朝の推移も天が定めるとしている。そしてそれは王として選ばれた人が徳があれば続くし、徳がなくなれば他の王朝へと移ってしまう。
これを理解すれば、中国史(中国の歴史小説)を読んでいくのは面白いのではないだろうか?

また別に、「権力者の能力を疑うこと。相手の実力と内部の事情を窺って、弱点を把握した後に攻撃する」という意味にも使われるようだ。

では、この家康が出て来て、これも同じく敗退したとあってはかなえの軽重を問われることになろうはどのような意味で使われたのだろうか? 

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