2010年2月26日金曜日

我思故我有

この言葉、結構考えさせられる。そして、自分を時たま振り返る。(ことが出来れば良いな?)


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

我思う、ゆえに我あり(われおもう、ゆえにわれあり)はルネ・デカルトが自著「方法序説」の中で提唱した有名な命題である。
原語はフランス語でJe pense, donc je suis.
ラテン語訳でcogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito - 私は思う、ergo - それ故に、sum - 私は在る)、
英語では "I think, therefore I am"。
 ちなみにラテン語訳はデカルトと親交のあったメルセンヌ神父によるもので、デカルト自身は「哲学原理(Principia philosophiae)」で初めてこの言葉を使っている。

一切を疑うべしDe omnibus dubitandumという方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。コギト命題、「精神肉体二元論」(いわゆる実体二元論)といわれることもある。哲学史を教える場合の一般的な説明によれば、デカルトはこれを哲学の第一原理に据え、方法的懐疑に付していた諸々の事柄を解消していった、とされる。

この言葉は好きだか、上記のように調べてみると、何と難しい意味をもった言葉だろうかと思う。
英語では "I think, therefore I am"。

あまり難しくかんがえずとも、そのままの訳で良いように思う。
「私は思った、それ故、私は存在する」  「私が存在することを考えることが私が存在していることだ」

むむ?? 難しいな!
 誰か教えてくれ!!

ところで、これはどうだろう。好きな人に向かって(メールでも)

  我思先君有   貴女のことしか・・・かな??

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