2010年3月24日水曜日

歌舞伎座 後39日。



いつものようにお勉強から

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東京都中央区銀座四丁目にある歌舞伎専用の劇場および企業。大正時代から松竹の直営で経営を行ってきた。火災や戦災に遭うなど様々な変遷はあったが、今日に至るまで名実ともに代表的な歌舞伎劇場として知られる。

第1期
歌舞伎座は、明治の演劇改良運動の流れを受けて開設された。演劇改良会に参加していたジャーナリスト福地源一郎(桜痴)と金融業者・千葉勝五郎の共同経営で、1889年に東京市京橋区木挽町に開設された。


第2期
1911年3月に開場した帝国劇場に対抗するため劇場の改修工事を行い、同年11月に再開した。この間に経営陣が分裂し、関西から東京進出を狙っていた松竹による株の買収が行われた。役員の田村成義がいったん株を買戻したものの、1913年に病気のためやむなく手を引き、松竹の大谷竹次郎が経営を握った(田村は市村座の経営に専念、帝劇・歌舞伎座の向こうを張って大正の市村座全盛時代を築いた)。
1921年10月、漏電により歌舞伎座は焼失した。田村寿二郎(成義の後継者)の好意により市村座を借りて興行を継続しつつ、直ちに歌舞伎座の再建工事を行うことになった。1923年には建物躯体が完成したが、関東大震災に遭って積み上げてあった内装用の桧材が全焼し、工事は中断した。震災復興に際して敷地が道路拡幅で削られそうになったが、大谷が後藤新平に頼み込んだ結果、何とか完成にこぎつけたという。
第3期
1925年1月、新築の大劇場で開場式が行われた。舞台も約15間とさらに広がり、豪華な施設は関東大震災から復興した東京の新名所となった。1931年、歌舞伎座株式会社は明治座、新富座、松竹と合併し、松竹興行株式会社になった。
第二次世界大戦が激しくなると興行も中止され、建物は1945年の東京大空襲で全焼、大きな屋根も焼け落ちた。

第4期
戦後しばらく、歌舞伎座は廃墟の姿をさらしていたが、1949年に株式会社歌舞伎座が設立され、松竹から建物を譲り受けて復興工事を行った(土地所有及び歌舞伎興行は松竹が行う)。1950年に竣工し、1951年に歌舞伎などの演劇興行を再開した。
しかし1993年以降、松竹の方針により「歌舞伎の本拠地」として原則通年で歌舞伎を興行することとなり、現在に至っている。唯一の例外は、隔年開催されている俳優祭(歌舞伎役者出演のイベント)のみである。

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2009年8月26日、松竹および歌舞伎座は立て替えの計画を発表、前途の通り建て替えの上高層のオフィスビル(地下4階地上29階建て・高さ135メートル)を併設とし、2010年5月より着工する。

そのため、歌舞伎座さよなら公演御名残四月大歌舞伎平成22年4月2日(金)~28日(水)となlっており、歌舞伎座の正面に後、39日となっていた。(2010年3月23日現在)


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